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鹿児島簡易裁判所 昭和45年(ろ)46号 判決

被告人 福元一晴

大一四・一・九生 自動車運転手

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴に依れば

被告人は自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和四十四年六月十八日午前九時四十分頃、鹿児島市伊敷町三、二六〇番地先道路において、普通貨物自動車(三輪貨物鹿六そ九〇四号)を運転し時速約三五粁で同道路を南進中、前方約二九米の道路左側部分に重量物捲き上げ作業をするため鉄パイプで三脚を組み、右側脚付近に田中進(当四五年)が立ち、通行車輛の誘導をしているのを認め、その三脚の右側を通過するに際し、単に速度を時速約二五粁に減速したのみで右側脚との間に相当の横の間隔をとらなかつた業務上の過失により、間もなく自車左後輪を同脚に接触させ、これを右田中進に打ち当てて同人を路上に転倒させ、よつて同人に治療約三ヶ月を要する右肋骨(第七、八、九、一〇、一一)骨折、肺臓損傷などの傷害を負わせたものである。

と謂うのである。

よつて取調べて見るに、後記各証拠によれば、本件公訴の日時場所において、上薗喜十夫が国道の鹿児島市々街地方向に向つて左側半分に重量物捲上げ用の鉄パイプ製三脚を、脚の二本は道路側端に、一本は道路中央に開脚設置しその略中心部地面に置いた重さ一屯半位のボーリング機械を捲き上げてトラツクに積み込む作業中、被告人が普通貨物三輪自動車を運転して小山田町方面から南鹿児島市々街地方向に向つて進行し、道路中央側の脚の側に立つて通行車輛の誘導をしていた田中進の誘導に従つて、右三脚の右側へ進路を転じて時速約二五粁にて三脚の右側を通過した瞬間、道路中央側の脚が左前方にはねて田中進に当り田中進が公訴のとおりの傷害を負うた事実が認められる。

二、証拠の検討

そこで右田中が受傷した原因は、被告人の業務上為すべき注意義務を怠つた過失によるものであるかどうか以下証拠によつて検討する。

(1)~(2)(証拠略)

によると、被告人は本件事故前後の情況について、

「私は普通貨物三輪車の空車を運転して、小山田町方向から鹿児島市々街地方向に向け進行して行つたところ、前方道路左側に三脚を立てて三脚の下には店側に近く機械が置いてあり、その店側の所に二、三人の人がいた。私は三脚より約二〇米位手前で一旦停車したところ、大型ダンプカーに追越された。前方を見ると、道路中央側の脚の側に立つて通行車輛を誘導していた田中進が手まねきで右側へ避けて進めの合図をしたので、私は進路を右にとつて発進し、三脚の側を通るときは私の車の左後車輪が道路中央側の脚より六〇糎位離れた位置で、中央線からは三〇糎位右側を通る見当で通過した。脚の側を通り過ぎて三、四米位進んだとき、後方で「ガタン」というすごい音がしたので、バツクミラーを見たところ、三脚が倒れかゝつたように見受けられたので、何事だろうと思つて、更に二〇米位進行して道路左側に停車して、車から降りて現場に引返して見たら、田中進が倒れて怪我をしており、他の人夫達が田中を抱えてそこにあつた貨物自動車に乗せるところであつた。私としては三脚の側を通つたとき何もシヨツクは感じなかつたが、轢き逃げしたように疑われてもいけないと思つて後返つて来たわけである。

ところが現場の人(上薗喜十夫)が私に「労災保険に加入しているから、労災保険で治療するから貴殿は帰つてくれ後で労災の証人になつてくれ」と言つたので、私はその儘同所から新屋敷町の自分の仕事の現場に行つた。

ところがその日の午後三時頃になつて、相手の現場の人が私のところにやつて来て「あの事故は交通事故にしないと都合が悪いと医者が言われた」と言つていた。警察には私方の事務員が事故届をした。そして午後三時半頃現場で警察の実地検証があり、私もそれに立合つた。」と言うのである。

即ち被告人は、自分は三輪車の左後車輪が三脚の道路中央側脚から六〇糎位離れたところを通過したので、左後車輪がその脚に触れてこれをはねたシヨツクは感じなかつた。上薗の方でも労災保険で治療するから、と言つた趣旨の弁解をするのである。

(3)~(4)(証拠略)

によつても、山崎証人は、事故当時現場で上薗が労災保険でやろうかと言うようなことを言つたのを一寸聞いた、と述べており、証人上薗は第一回尋問の際は労災保険でやるとの話はなかつた旨否定しながら、右(4)(証拠略)の際は事故直後田中の傷も軽く見えたし、道路使用の許可も受けていなかつたので、「労災保険で治療するから」と言つたことは間違いないと述べている。

右のように、本件事故後田中進を病院に運ぶ迄は、上薗としては、被害者田中の治療は労働者災害補障保険法の保険によつて治療する予定であつたが、病院に運んだ後、何等かの理由で交通事故扱いにすることになつた事実が認められる。此の事実は重大であり無視することはできない。

さて事故原因に関する

(5)(証拠略)及び前記(2)(証拠略)によると同証人は、

「事故当時国道の鹿児島市々街地方向に向つて左側にボーリング機械を置き、これをトラツクに積み込むため機械を挾んで鉄パイプの三脚を組立て、機械の捲き上げ作業に着手した。

その際人夫田中進をして道路中央線側の脚の側に立たせ、通行車輛の誘導をさせた。捲き上げを始める前、先づ八屯車位の大型トラツクが小山田町方面から市街地方面に通過し、その後七、八米のところを被告人の三輪貨物が来た。被告人の車は時速三〇粁か三五粁で脚の側を通り、被告人の車の左後車輪が道路中央近くの脚の下から三〇糎か四〇糎位上の方のパイプの下部の握り手から一五糎位上の方(第一回検証調書によると右握り手は脚の下部から五九糎位の高さにある)に乗りかゝるように当り、三輪車の車体の左方が浮き上るようになつて脚を市街地方向に一米位はねた。その脚が中央線側に向いて立つていた田中の右脇下に当つた。」

「三輪車の左後輪が当つた脚は下部から四、五〇糎の部分が曲り、黄色の塗装が剥げてタイヤの跡がついていた。」と述べるところであり、前記(2)(証拠略)及び(6)(証拠略)

によると同証人は

「私は事故直前ボーリング機械を三脚で捲き上げるためにチエンブロツクの操作係りをしていた。田中は中央線寄りのパイプ(脚のこと)の着地点から約四〇糎位斜後に立つて被告人の車に合図をしていた。被告人の車は三〇粁か四〇粁位で走つて来て車体は中央線に平行して真直ぐなつていたが、左後車輪がパイプの下の方にある握り手のところに乗りかゝるようにして当つた。その瞬間パイプを伊敷町方向に二米か三米(検証の結果によると脚は頂点の取り付け部分の金具の工作の関係で左右の片方に一米九〇糎しか開かない)はね、そのはねたパイプが田中の脇腹に当り、田中は機械を積み込むために用意してあつたトラツクの後部の所に頭を伊敷方向に向けうつ向いて倒れた。」

と述べており、

(7)~(10)(証拠略)及び前記(5)の(証拠略)によると、

前記三脚の作業主上薗喜十夫は事故後三、四日か四、五日後の朝、使用人二、三人を伴ない被告人の車が乗りかかつて曲つたという前記脚の一本を携えて被告人の雇主戸高政義方に赴き、被告人の運転する三輪車の左後車輪で三脚の四、五〇糎上部を乗りかゝるように当つてはねたための事故であることを力説し、その証拠として曲つた脚を戸高等に示したが、被告人や戸高等が承服しないので、脚を持つて戸高等と同道して警察署に赴き、実況見分をした川原藤蔵巡査に面会し、事情を確かめたところ、川原巡査としても、その脚の曲りは三輪車の左後部車輪が乗りかゝつて曲つたものとは直ちに認め難い、又、実況見分の際にもそんな話は聞いていない旨述べた事実が認められる。

右の事実によつて考えるに、三脚による捲き上げ作業主たる証人上薗喜十夫、作業員徳重武博等の証言たる「車輪が脚の握り手から一五糎位上の方(下端から約六〇糎ある)に乗りかゝるように当つて脚をはねた、そのため脚が曲つたタイヤが乗りかゝつた部分は塗装が剥げてタイヤの跡形がついていた」との証言は、極めて具体的、積極的な証言であつて、同証人等としては此の証言は絶対に変更できない程度の証言である。

ところが前記(9)~(10)(証拠略)及び(11)(証拠略)

に依れば、証人川原藤蔵が事故当日実況見分の際に立会つた三脚の作業員等に対し、「三輪車のどの部分が三脚のどこにどのような風に当つたか」と尋ねたが、その際には前記の通り具体的かつ積極的に答えた者は一人もなかつた事実が認められるから、前記具体的積極的な証言は、上薗喜十夫等が労災保険扱いから自動車事故扱いに方針を変え、その方針を押し通すために考案した証言の疑いが極めて濃厚である。

三、第一回実験結果

(12)(証拠略)

に依ると、本件三輪車の左後輪が脚の下部握り手の上に乗りかゝるように実験したところ、

先づ三輪車の車体左側前部が脚に当つてこれをはねる形となり、次に車体左前部が当らぬように進行してから左に変進して後車輪を乗せかけようとしたが、今度は工具箱が脚をはねる形となつた。次いで車体並びに工具箱が脚に触れないで車輪丈が乗るようにするには、車体や工具箱が触れない程度に接近させて車を進行させ、工具箱の部分が脚の位置を通り過ぎた瞬間に急角度にハンドルを左に切ることによつて脚が左後車輪の前方に挿し込んだような形になり、その儘進行すれば左後車輪は脚の下部握り手の部分の辺りに乗りかゝるように当ることが確認された。即ち誘導者の誘導によつて、脚に接触しないように注意しながらその右側を通過しようとする三輪車が、通常の進行状態の儘では仮りに三輪車が脚に近寄り過ぎたとしても、先づ車体の左前部や工具箱が脚に接触することはあつても、左後車輪が脚の下部握り手の上部(下端から約五九糎)に乗りかゝるように当つてこれを曲げるようなことは絶対にあり得ない事実が確認された。

ところが

(13)~(14)(証拠略)

に依れば、本件事故当日の実況見分の際には、被告人運転の三輪車の車体左側には三脚の鉄パイプと衝突してできたと認められるような傷痕は何等発見されず、又後車輪タイヤにも同様新しい傷痕はなかつた事実が認められる。

四、何かの機会に被告人の車の左後車輪は脚に接触これをはねた事実は肯認できる。

前記(1)(証拠略)によれば被告人の三輪車が三脚の側を通つて三、四米又は四、五米進み「ガチヤン」という音を聞く迄の間、及びその前後の近接した時間に同所を通過した車は、被告人の車に先行したダンプカー一台が通過した許りで他には接近した後続車も対向車もなかつた事実が認められるので、被告人車が通つた際に三脚の脚がはねられた事は間違いない事実と推認される。前記(3)(証拠略)によると、

「被告人の車の左後車輪が中央線寄りの三脚のパイプに当つてタイヤが少し持上つた。

田中は中央線寄りのパイプの先から四〇糎位離れた内側に立つていたが、ガーンという音がしたと思うと田中は一回転してうつ向きになつて倒れた」旨述べているところであつて、被告人車の左後車輪が脚に接触してこれをはねた事実は認められるが、然しながら右山崎証人の証言は、被告人の車が三脚との間に相当の間隔をおかず接近し過ぎたために接触してはねたことの証明とは為し難い。

五、想定される事故原因

(15)(証拠略)

及び被告の当公廷における供述に依れば、被告人は普通三輪貨物自動車の運転手として既に七、八年の経験があり、本件事故時の三輪貨物車丈でも四、五年間運転しているのであるから、本件現場のような広い国道で、道路左側に三脚を組立てて作業している場所を通過するに際し、誘導者が手を以つて合図しながら右方に避けて通行するよう誘導するのに従つて通過する場合、他に対向車もなく右側道路に充分の余地がある状況下で、その三脚の中央線側脚に接触するような運転をするが如きは通常の場合思い及ばざるところである。然し乍ら被告人車の通過時刻と脚がはねた時刻が略一致し、はねた方向が被告人車の進行方向たる伊敷町方向へはねられた事実を考えると、前項に記載したとおり被告人の車がその脚をはねたであろうことも肯認できる。

ところが前記(7)(証拠略)及び(16)~(16)の2(証拠略)

に依れば、重量物を捲き上げるための三脚は、コンクリート舗装の上ではつり上げる重量物の重みによつて三脚の脚が夫々開脚した方向へ滑り、三脚が崩れる惧れが多分にあるので、三脚をコンクリート舗装の上に開脚設置する場合は、脚の着地点に莚の様なものを敷いて脚を立て、且つ正三角形型に開いた脚の下端を夫々ロープで結んで相互に引張り合うようにし、尚要すれば三角の頂点に当る部分もロープで結んで電柱その他強固な固定したものに引張り結び、倒伏を防ぐように設置すべきであるのに、本件三脚は単にコンクリート舗装道路上に開脚し、中央線側の脚の下に小さな台木を挾んだ丈で前記のような安全策を講じなかつたことが明らかである。

(17)(証拠略)

に依れば、本件自動三輪貨物車で、三脚の中央線寄りの脚を地表から二五糎の箇所に後車輪が当るように走行させたところ、左後輪で脚を前方にはねたが、はねた瞬間脚の下端は三輪車の工具箱に当つてしまい、車輪にはねられたまゝ一気に左前方へはね出すことにはならなかつた。尚はねられた瞬間工具箱に当つてすごい音を立てたから、運転手としては充分その衝撃を感ずべき状況であつた。

次に脚の下端から約一〇糎の所をはねるように三輪車を走行させたところ、車輪は脚の下端を押えるように乗り越えて進みはねることはなかつた。

次に三脚の中央地面にボーリング機械をおき、これをチエンブロツクにて急いで捲き上げたところ、機械の重味が三脚に伝わり、未だ機械が地表から浮き上らない内に三脚の道路中央側の脚は外側(中央線を越える方向)へ直ちに四〇糎滑り出したので危険を感じて捲上げを中止させた。

前記(1)の被告人の供述では、被告人が小山田町方向から南進して来て三脚に気付いた時点では、機械は三脚の下の店口側に寄つた位置に在つたような気がする。その際は店口前に二、三人の人が立つていたが何もしているようではなかつた、と述べ

(18)~(19)(証拠略)

に依れば、「私は道路中央側の脚の側に立つて被告人の車に手で右に寄れと合図した。

被告人の車が脚の側に差しかゝつたとき(はねられる直前)にはボーリング機械は一〇糎位つり上げられていたように思う。交通量も多い所だし、道路使用の許可も受けていなかつた関係で確かに仕事は急いでいた。」旨述べるところである。

前記のとおり被告人がボーリング機械を見た地点と、田中証人が機械が一〇糎位つり上つた(これは長方形の機械の片方丈が浮き上りかけた状態と推察される)のを見た時点とは数秒の時間差があるのである。想うに捲き上作業は道路使用許可も受けて居らず(十分間以内の短時間で済むと思われる作業だからと思う)、交通量も多い所であるから、作業主たる上薗としては作業を急いでいたに違いない。

準備を完了して自動車の交通が途絶えるのを待つている内に、大型ダンプカーの次に被告人の三輪車が来る外車がなかつたので、田中の誘導によつて被告人車が進路を右に変えた瞬間、機を逸せずと上薗の指揮によつて急拠捲き上げを開始したところ、被告人車が三脚の側を通過しようとする瞬間に偶然にも前記実験のとおり道路中央線側の脚が滑り出し、被告人車の左後輪前に脚を僅かに挿し込んだ形になり(此の場合滑つている瞬間であるから固定している時よりも脚は浮き加減にある訳である)、それを被告人車の左後車輪が撥ね飛ばし、脚は工具箱などにも触れないで直接左前方空間にはね、偶々誘導のためその脚の側に立つていた田中をはね倒したものではないかと推認されるのであつて、此の推理が最も蓋然性が高いと思料される。

六、被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書記載の被告人の自白の信憑性。

被告人は当法廷において、「自分は三輪車の左後車輪が道路中央線より右方三〇糎位、脚からは六〇糎位(第七回公判では中央線から五〇糎位という)離れた所を通過する見込みで進行した。」「通過した際何もシヨツクは感じなかつたがガタンという凄い音がしたので引返して見た。」旨供述するところであり、前記(証拠略)によれば被告人は事故当日の実況見分の立会の際から「シヨツクは感じなかつたが、ガチヤンという音がしたので引返して見た」と終始一貫した弁解をしているところであるが、

(20)(証拠略)

に依ると、「田中さんが怪我したのは、私の運転車輛の左側部分にキズがないところより、左後車輪がそのパイプの脚に接触して田中さんの方にはね、それが田中さんに当つて怪我をしたものと思います」旨の供述記載がある。これは他に通行車輛がなく被告人車の通過と同時に起つた事故であり、被告人車の接触以外には他の原因についても何人も想い及ばないことであるので、その点を追及されて、被告人としてもそうとしか考えようがないところから「その通りであつたろうと思います」と答えたのが、右のような供述記載になつているものと思料されるのであつて、而もそれは飽く迄想像の域を出てないのであるから、脚が滑り出しもしないのに、現実に被告人車が脚に近寄り過ぎて接触したことの証拠とするに足りない。

又右(15)の(証拠略)に「田中さんが立つているところと(車の)左側の間隔をもう少し取つて運転しておれば車を触れさせずに、この事故は起きていなかつたと思います」旨、「車体の固い部分に傷もついていませんでしたから左後タイヤが三脚にさわつてその三脚をはねて田中さんを打倒したのだろうと思います」旨の供述記載があるが、此の点も右検察官調書について検討したとおりの理由で取調官の追及に対して、自らもその原因に思い当ることがないので、問われるとおりの外考えようがなく、そうだつたろうと思います」旨想像を述べただけの事であつて、真実を証明するものとは為し難い。

尚被告人は実況見分後、病院に田中進を見舞い詫びを入れている事実があるが、これも右認定のとおり、実況見分の際に単に被告人の車が接触しなければ起り得なかつたと思われる一般的状況の下で警察官から追及されて、被告人も警察官の言われる通りであつたのだろうと思うに至つたので、謝罪の挨拶を述べたものと思料される。よつて右謝罪の事実は被告人に過失あつた事の真実さを証明するものとはなり得ない。

七、労災保険から自賠保険に方針変更について

冒頭において見た通り、本件三脚の作業主たる上薗喜十夫は事故直後、被害者の負傷の治療は労働者災害補障保険法に基づく所謂労災保険にて治療する予定であつたのを、被害者を病院に運んだ後に至つて自動車損害賠償補障法による所謂自賠保険で治療することに方針を変え、そのために本件事故を被告人の過失に因る交通事故として処理して貰うことになり、午後三時頃に至つて被告人に連絡し、被告人稼働先の戸高建設の事務員前田郁哉が警察に事故届をすることになつた事実が認められる。

前記(4)(証拠略)によれば、田中の傷も軽いようであるし、道路使用許可を受けていなかつた弱味もあつたから頭初は労災保険で治療する考であつたが、病院に行つて見たら田中の傷が案外重傷なので、自賠保障にて治療するようにした旨(此の点第一回同証人尋問の際は否定している)、弁解するところであるが、上薗証人等の言う如く、被告人の車の後車輪が三脚の脚の下端から四、五〇糎も上部に乗り上げるように当つて脚をはね、その脚によつて田中の右胸部を打ち、田中をはね飛ばし、そのために田中が負傷したものであつて、而も脚のパイプが曲つた程の明確な事故であつたとすれば、軽くても病院に運ぶ程の負傷であつたのであるから、その場で被告人を問責する筈である。それをしなかつたということは、被告人の車が三脚に接触したとしても、それは上薗等の作業上の何等かのミスが加功していることを自覚するからであると推察されるところであるが、なお労働者災害補障保険法第二五条第二号(改正前は同法第三〇条の四第二号)に依れば、事業主に故意又は重大な過失があつた事故の場合は、給付を受けた保険金等を事業主が弁償しなければならないことになつていて、此のことは労働基準監督署において事業者等に周知させてある筈であり、斯様な点を考えると、証人上薗喜十夫の右弁解はたやすく信用できない。上薗としては田中進を病院に運んだ後、作業上のミスが露顕した場合は保険金を徴収されることを思い出したか、又は何人からか注意されたため、自らの事業上の過失を隠蔽するため、交通事故扱いとすることになつたものとの疑いが極めて濃厚である。

八、結論

結局本件事故は、重さ一屯半もあるボーリング機械の捲き上げ積み込み作業をする際、コンクリート舗装道路上に鉄パイプ製三脚を設置するには、その作業主としては、その脚が滑らないように三脚の各脚の下に莚のようなものを敷いたり、又は各脚の下端をロープで繋ぎ止めるなど滑り止めの安全策を施すべき業務上の注意義務があるのに、上薗喜十夫が右の様な安全措置を講じなかつた過失により、田中進の誘導によつて道路右側へ変進進行した被告人の車を見て安心し、すばやく捲き上げ積み込みを終ろうとして急いで捲き上げさせたため、中央線近くの脚がたまたま通りかゝつた被告人車の左後輪前方に挿込むように滑り込んだ瞬間、左後輪がその脚をはね、その脚が約一米位離れて立つて誘導していた田中の右胸部を強打して打ち倒し負傷させたものではないかと推認される疑いが濃厚であり、本件公訴のとおり被告人が三脚との間に相当の横の間隔をとらなかつた過失に基くものであると認めるにはその証明が極めて不充分であると言わざるを得ない。

よつて刑事訴訟法三三六条に従い被告人に対しては無罪を言渡すのを相当と認め主文のとおり判決する。

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